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またあの町へ

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長いようでやっぱりあっという間だった札幌での日々を終え、さっきフェリーに乗り込んだ。
さらば、安らぎの日々(T_T)

姪っ子が成長していてびっくりした。
かわいい絵を描くようになった(´▽`)
すごくおしゃべりするようになっていた。


さて、3ヶ月間走りっぱなしで真っ黒になってしまったまとんの“オイル交換”は終了。
昨年末よりは、少しはすっきりしたかな?
やっぱりせめて月一くらいで人間も定期点検は必要だわさ(笑)と、今回はなんか痛感したなあ。
まあ、こんなの一生で今だけですからね。
さて戻れば問題は山積みだ。

一昨日から送迎の予約電話の受付だけは開始した。
と同時に電話がドンドンかかってくるので、外出もやめて、石巻にいるときと同じ引きこもりモードに突入。
遠い北海道で、聞き覚えのある宮城弁を聞くのもなんとなく不思議な気分だった。

地震なんてこの国にあったの?
いつ?

そんな空気に囲まれた世界に、仮設住宅のおばあちゃんから電話が来る。
「具合が悪くて動けねんだってば。体が痺れて、米炊くのもやっとで、お正月ったって冷蔵庫の漬け物と缶詰めでなんとか過ごしたけど、もう何にもないんだ。薬もねえがら、病院さ連れでっでけらいん。死ぬ一歩手前なんだあ。」

そんなふうに生きている人々がいるなんてどこからも感じられない「外」の世界で受けるから、いつもよりずっと切ない気持ちになる。

何が出来る?
どうするのがいい?
頭がいい人になりたいよ。
誰か教えてよ。

石巻の地元スタッフ仲間からから電話。

「ニュースで見たと思うけど、孤独死が出たんだ。○○仮設で。でも死んだのは多分去年のうち。60過ぎのおっさんだよ、仮設で一人で酒ばり飲んでたんだ。」

テレビも割といつもついている実家だけど、ニュース、なかったよ。
誰も、知らないよ。
だけどそんなこと言えねがったー。

阪神大震災のデータで、すでにはっきり出ているんだ。
仮設住宅の孤独死で一番多いのは、お年寄りよりも、働き盛りのはずの中高年男性だって。
集会所にも出てこないで、部屋で一人で酒ばかり食らって、一人で死んでしまうんだ。

「なんかショックでさ。俺も何かもっとしねぎゃないんでないかって。」
被災者のあなたがそんな風に思うの?
そのすぐ周りには、ケロッと元気な人々が、何も知らずにのんびりしてるのに?


気仙沼の知人から連絡があり、移動の支援を必要としている仮設住宅があると言われた。
56世帯中の40世帯が独居の高齢者。交通機関なし。最寄りのバス停まで高齢者の足で40分の山の中。
市役所にお願いに行ったら、
「そこだけではなく他にも似たような状況の仮設住宅はあるから、そこだけに何かするわけにいかない」
「基本的には自立支援」
と言われたんですと。
他にも似たような状況の仮設住宅があるから、自立のために何もしないって、何ですかそれ?

モヤモヤがいっぱい。
どうなの?
声を上げるのはいつもモンスターたちばかり。
批判するのは自分の暮らしの安全が確保された暇人ばかり。


世の中、そんな問題山ほどある。
私の知らない問題だって大盛りある。
どうにもならないこともいっぱいある。
でも、どうにもならないんじゃなくて、しようとしないだけ、の問題だって、ものすごくあるんだと思う。

なんでも、答えが簡単なら苦労しないよね〜。(笑)


ものすごくお金のかかるこの支援の支援団体が一つ、年末で終了の宣言を出した。
仕方ない、感謝こそすれ非難なんてできない。
だけど、最後の最後まで、一度も実際の活動を見たり話をしたりする事のない団体だったから、なんだかすごく、残念。
見て欲しかった。
感じて欲しかった。

その努力が足りなかった、こちらが悪い。
目の前の活動があまりにもいっぱいいっぱい過ぎて。
一人で抱えきれなかった。
有能になりたい。

この後、どうやって踏ん張るか。
どうやって、形を変えて、引き継ぐか。
どんだけできるかわからんけど、努力します。

お正月を漬け物と缶詰めで過ごしたおばあちゃん、死んだまま見つけられなかったおじさんに、見せる顔がなくならないように。
by ushimaton | 2012-01-07 19:55 | 東日本大震災

伝えて来てけれ

年末に札幌に一時帰省するため、フェリーに乗り込んだところで、電話が鳴った。
石巻で一緒に活動している現地メンバーのSさん。

「いままでずっと休まずやっててくれたから、とにかくゆっくり休んできてな。」
Sさんは平日ずっと他で仕事しているのだが、休日である土曜日、都合のつく限り、私たちのところに来て送迎のボランティアをしてくれている。

「やっぱり、自分の家で飯食って布団で寝るのって、違うと思うんだよな。うちは何もかも無くしたから、したくてもできねえし、だから、できる人にはしてきてほしいって思うんだ。」
Sさんの家は、崖を駆け上ってきた津波に根こそぎ流され、今は土台しか残っていない。
そこに家があったことも、かろうじてわかるくらい。

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「そいでさあ、そっち帰ったら、周りの人に伝えてほしんだ。こっちがどんなことになってるとか。身近な人から言われるのってやっぱり違うと思うから。」

今まで私も、手伝いに来てくれたたくさんの人たちに、同じことをお願いしてきた。
「テレビや写真集で見るのと、実際に自分の身近な人の口から聞くのって絶対違うと思うから、家に帰ったら身近な人にここでの経験や思ったことを伝えて下さい。」

被災地に行って、めちゃくちゃに壊れた光景を見て、「うわーすごい」といって写真を撮りまくる人々に、私は不快感を覚える。
よくたとえ話で言うのだけど、
「たとえば車が正面衝突して道路脇にくちゃくちゃになっている姿を見て、『うわーすげえ、ぐちゃぐちゃだ!一家4人が即死だってよ!』と言いながらその車の写真を撮ったりしますか?そういう人のことどう思います?」
震災の写真集を買い集め、さらりと「この辺りは全滅」などと解説してまわったり、来たばかりの人や視察に来た人に「被災のひどいところ見るツアーに連れて行くよ。」などと嬉しそうに(見える)観光に連れて行ったりする人。そういうのも大嫌い。

だけど、写真を撮ること、被災地を見ることそのものを、悪いことだと断じるつもりもない。
ある意味では、撮ってほしいし見てほしい。
見るべきだ、とも思う。

「何が違うんだよ。」
と言われるかもしれないけど。
その違いって、言葉でうまく言えないけど、でも違いはある。

写真集を見たら、津波で木の葉みたいにざらざら流れている自動車がたくさん写っていた。
ブレーキランプがついてる。
中に人がいる。水に浮かびながら、ブレーキを踏んでいる。
その写真を見ながら、死に向かっている人々が写っていること、その茶色い濁水の下に、さらに沢山の人や犬や猫が呑み込まれていることに、どうして気が付かないんだろう。

どんな場面でも、必要なのは、ちょっとの想像力。

だから、話をすることが大切。
身近にいる人の口から。カメラマンでもない、知っている人から。
シャッターを押す時に居たたまれないためらいがあったその写真だから、意味がある。
ため息を漏らした口だから、意味がある。

でも、意外と難しい。
「被災地にボランティアで行ってるの?えらいねぇ~。」
と言われてしまうと、気持ちが後ろに引っ込んでしまう。
「ボランティア面する奴らむかつく」
という言葉を聞いても、口をつぐんでしまう。
「もう被災地の映像とか見たくない」
とテレビのチャンネルをバラエティーに変える手を押さえることはできない。

私にもできると思ったのになあ。
どれだけ、伝えられているかなあ。
耳をふさぐ人の耳に。
目をそらす人の目に。


4月の頭に被災地に入って、毎日毎日地震が続いて、とにかく夢中で動きながら、半分本気で
「生きて戻れるか自信ないなあ」
と思っていた。
生きて戻ったとしても、自分の持ち物まですべて無事に戻るかわからないなあ、と思った。
それで、5月に川崎のいとこのところに、カメラのSDカードを預けてきた。
少なくともこれで、私よりはこいつ(このカード)の方が無事にいることだろう。と。
撮った写真はそんなに多くはなかったけれど。

シャッターを押す時の何とも言えない苦い思いと、
「これは、見せなくては」
という思いを、おぼえている。
でも実際は難しい。
だけど、載せよう。

そこまで考えて見せたところで、テレビや写真集でこんなのいくらでも見た!なんて感想なのかもしれないけれど。

見たくない人は見ないでください。

写真と、動画は、ここから。
by ushimaton | 2012-01-05 17:31 | 東日本大震災

モーターショーの報告など

ちょっと遅くなったけど、モーターショーのシンポジウムは無事に終わりました。
来てくれた方いたらありがとうございました。

自己採点は、うう、50点くらいかな…。
「これだけは伝えてこなくちゃ」と意気込んでいたことの半分くらいしか話すことができなかった。
緊張で頭まっしろになったことも数回(-_-;)

もともと、モーターショーのシンポジウムであり、テーマが『被災地における福祉車両』であり、全体の流れとして
「やっぱり被災地でも福祉車両は大切なんですね」
ということを確認し合うためのシンポジウムではあるけれど、それにしても未曾有の大災害であったわけで、わざわざ集まって取材して話をしなくても明らかである“災害にも福祉車両は必要だな、やっぱり”ということを確認し合うだけで終わらせる手はない。

福祉車両というのは、車いすの人や寝たきりの人でも移動できるように改造された特殊な車両である。
リフトがういーんと下りたり、座席がぐるっと回ったりする。
特殊車両がないと移動できない人にとって、この車があるかないかは命に直結する場合もある。
今回の震災だって。

公住の1階に住んでいる車いすのご夫婦は、逃げることをあきらめていて、部屋にやってきた同じ住宅の人に背負って3階まで運ばれて助かった。とても被災の規模の大きな地区。

歩くのがやっとで車にも乗れなくなったおばあさんは、「私なんかが行っても迷惑だから」と、やはり避難せずに自宅の二階にいた。
たまたま二階は大丈夫だったけど、これは移動手段だけの問題でもない。おそらく、かなり多くの体の不自由な人が、同じようなことを言って避難をあきらめた。

ある方のお父さんは寝たきりで、津波が来たとき、家族に「置いて逃げろ」と言った。
被災の甚大な雄勝地区。お父さんは亡くなり、家族は逃げて生き延びた。

「年寄置いて行けない」と家に残って流された人もいた。

避難所で、一歩一歩が5センチくらいずつしか進むことのできない人が、2階3階に避難していて、一番最後にようやくグラウンドの炊き出しに辿り着いて食べ物をもらうなんてこと、どの避難所でもあった。

避難所の前に簡易沐浴施設があったけど、寝たきりで3か月間一度も体を洗いに行くことができていなかった人だっていくらもいた。

そういう話を聞いて、
「何やってんだよ、行政は!」
と行政の責任ということにするだけの人が何万人いても何の意味もない。
ましてやその渦中に、誰それが辞任しろだの何だのということにばかり夢中になっていた人には、不信感しか残らない。

いやいや、話題がそれた。

事例なんていくらでもあった。
ほとんど紹介することもできなかったけど。

シンポジウムの出席者は5人。
気仙沼の住人の方、福祉施設長の方、大学病院のお医者さん、ナースの団体の方、私。
司会の方に声をかけられた人が答える形で進行することになっていた。
「やはり被災地に福祉車両というのは必要ですか?」
という質問を投げかけられた。
「自分の力で移動できない人にとって、福祉車両というのはライフラインそのものだと思います。
ただ、福祉車両だけがあっても意味がないと思います。車両に乗れる人、メンテナンスできる人、必要としている人を見つけ出す人、そことつなぐ人など、人がつながることが大切なのではないかと思います。」
というようなことを答えた…はず(アガっていたのでちゃんと覚えてないけど)

震災直後に被災地入りして、まったく活用されないまま秋口に私たちのところにやってきたリフト車両がある。

大学病院は震災の時、非常事態体制をとって全員で被災者が運ばれるのを待っていたそうだが、当日は誰も運ばれてこなかったのだそうだ。
同じとき、診てくれる人もいないまま、足の踏み場もない町の病院で息絶えた人々が布をかけられたまま床に横たわっていたのだそうだ。

救えるものがあるのに、つながらない、潤滑する人の力が足りないということの勿体なさ。


司会の方は最後のまとめに入った。
「パネリストの皆さんの中で、最後にこれだけは言いたい、というものがおありの方はいらっしゃいますか?」
誰も手を挙げなかったので、おりゃっ!と手を挙げた。
このまま帰ったらみんなに合わせる顔がねぇ。伝えたいことの1割くらいしか言えてねえ。
「福祉車両とあまり関係のないことで申し訳ないのですが、来て下さった皆さんに、これだけは忘れないでほしいと思うことがあります。
ここにいると、震災というものはもう終わったんじゃないか、もう大丈夫なんじゃないか、と思われるかもしれませんが、まだまだ何も解決していない問題はたくさんあります。
レラを知るまで、仮設住宅からの交通費に20万、30万、200万円など費やして生活している人がいます。
千年に一度と言われている災害から1年も経っていないいないのに、もう大丈夫な状態になっているわけがありません。
まだ終わっていないんだ、ということだけ、忘れないでいてほしいと思います。」
というようなことを言った…はず(笑)

司会の人が何度も、
「ご苦労されましたね」
「お忙しかったですね」
と、なんか過去形で問いかけてきてばかりだったのだ。
そのたびに「今も大変なんですが…」などと修正修正していたのだが、ずっと気になっていた。
まだまだ多くの人の力が必要だということ、どうにもならないままの問題が多いということ、れらもいっぱいいっぱいだってこと、伝えるために来てるのに。

最後に無理無理ねじ込んで話せたから、どうにか50点。


シンポジウムが終わって退席したら、客席から出てきた方に呼び止められた。
控室に戻ってすぐ、「面会を希望している方がいる」と呼ばれてまた戻り、そのまま4,5組の方々とお話をした。
交換した名刺の住所宛に、義捐金を書留で送ってきて下さった方もいた。
「最後の言葉がよかったですよ」
と言ってくれる方もいた。

知っている人が何人か来てくれた。
愛知から弟も来ていた。
弟は秋に石巻に来て、活動に参加していったりもした。どうもありがとう。


そんなシンポジウムでした。

ところでモーターショーとはこんなところでした。という写真を撮った。
ピカピカの新型車両と、おねえちゃん達。
そしてお客さんたちの関心は車よりもお姉さんだったように…見えましたな( ̄∀ ̄)
車の写真より断然熱心だったしな。

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by ushimaton | 2012-01-03 17:26 | 東日本大震災

ちょっとただいま。ありがとう。

ご無沙汰しております。
(最近この挨拶ばっかし…)

北海道で年越しをしております、まとんでございます。
昨年は本当にお世話になりました。
今年もよろしくお願いいたします。

石巻の活動は、年末年始にけっこうな長期間を休みにせよとの指令が来まして。
調べてみたらフェリーがギリギリとれたので、帰ってきてみました。

9月頭に一度いとこの結婚式で戻ってきてから、12月の東京モーターショーの翌日まで、3か月間まったく休めていなかったため、さすがに精神力の限界が来ていたのも否めませんなあ。
同じ立場の人が誰もいないからココロの支えがなかなかなくてなあ。
でもいいの。自分で好きで行ったんだし。

千葉にいた3か月間、そのあとの9か月間、それぞれの日々を支えてくださった多くの皆さん、本当にお世話になりました。
人というものをこんなに感じたことのない、そういう1年間でありました。

千葉ではご自宅に何度もご招待してくれ、自分の家のようにくつろがせて下さった、yokuyaさん。
「忙しいでしょうから返信不要」と、石巻に来てからも継続してお便りを下さっている、クルミルクさん。
色々と気にかけてくれている、そーいちさん。
寄付金を託してくれた上にクリスマスカードやお年玉商品券も送ってくれたマックスさん。
(壊れた靴を買おうと画策してます)
友人えりちゃん共々むちゃくちゃお世話になった上にこれまたクリスマスカードとお年玉もくれたせり子ママ。
(おかげでフェリー乗って帰ってきました)
久々に再会できたとき、抱きしめて泣いてくれたjamちゃん。てか心配かけてごめん^_^;

返信もできない、一か月更新みたいになったブログにコメントをつけてくれたみなさま。

牛絵描きとみちゃん(このブログのハッシュタグ「とみたみほ」)は、夏にはとれる休みをまとめてとって、実際に来てくれた。
さらになんと、チャリティー版画を制作し、その売上金を丸々全額レラに送ってきてくれた!
yu-yanさんも、夏休みをしっかり注ぎ込んで、実際にレラで走ってくれた!!
小清水のT親分や野菜農家さんたちは、仮設住宅でのバーベキューなどのための野菜を送ってくれた。

みなさん本当にありがとうございました。

ブログに関係する方たちだけでもこんなにいる。というか今すぐ思いついただけなのでまだまだいる。

ブログとは関係ないところで、さらに何十倍も沢山沢山の方々。
お世話おかけしております。

来年も、これに懲りず、まとんにお付き合い下さったら幸いにございます。


フェリーで北海道上陸してから、まずは連続で友人たちにぽぽぽ~んと会いまくり飲み会まくりで、そのあとはドロッドロに眠りまくりしている^^;

これから何本か、こっちにいる間に記事更新します。
by ushimaton | 2012-01-02 16:23 | 東日本大震災


気が小さいのに、珍しいものは好き。 道草を喰って、たまに反芻したり。 牛歩ではありますが。


by ushimaton

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 生まれと育ちは北海道

 震災被災地にお手伝い
 行っております

 コメントの返事が
 とどこおりがちですが、
 嬉しくありがたく
 読ませていただいています

 自分のブログの更新する余力がなかなかなくなってしまいましたが、日々の報告メールをこちらに出しております。
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