カテゴリ:東日本大震災( 55 )

現実と現実と

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およよよ



って間に、帰路なう(笑)

滞在わずか2日あまりの、今回の帰郷でありました。

帰りのフェリーは幸い欠航にはならず(かなり揺れるのは確実)、雨風強くなってきた苫小牧港を脱出したところ。

いとこの結婚式は素敵に執り行われた♪
北海道神宮の神前式!
神楽なんかもあったりして、しっとり静かでとても良かった。
子供の頃からずっと、憧れのお姉さん的に、一緒に育ってきたいとこなので、なんとも感慨深い。

久々に姉弟親族揃って、良かった良かった。
ところで、大震災みたいな災害の年って、結婚が多いそうですわよ。
「お前もあやかれ!」とかツッコミが入りそうだから、あんまり深く言いませんけどね。


北海道も相変わらずで良かった。
ただ、やっぱり、先月東京に行った時のように。
少し、かみあわなくて、ちょっとヤバい。自分。
誰も悪くない。
私が勝手にちょっとだけ、ズレの修正に苦労しただけ。
あまりに違いすぎる、その違いが際立ってきているから。
気をつけなくては。


石巻から札幌に帰ってくる時、仙台までの2時間弱の道のりを、4日間ほど一緒に走ってきて任務終了した大阪からのグループの車に乗せて貰った。
車の中で、色々な話をした。
彼らが乗せてきた様々な地元の人たちのこと。不便な仮設住宅、救われない境遇、そこまでいらないくらいの感謝の言葉や涙のこと。

「こんなに人様に迷惑かけて、つらいことばかりで、自分なんて助からなきゃよかった、津波で流されればよかった。」って言うてたおばあちゃん何人も居てたよ。
「そんなこと言うたらアカンよ、せっかく助かったんだから、一生懸命生きなアカンよ。」言うたったけどな、ほんま切ないわ。なあ?助かったのにな?

そんな、車中の会話を思い返しながら、何が出来るんだろうどうしたらいいんだろう、そう答えのなかなかわからないぐるぐるに頭を捉えられたり眠ったりして札幌に帰って。
全く何もかも健全として見える明るい世界に、羽を伸ばしたり眠ったりして。

結婚式場に、自衛官の方がいた。
自衛隊!
その方が被災地に行ったのかどうかはわからなかったけれど、どうしてもどうしても、声をかけたかった。
石巻含む被災地は、本当に、ものすごく自衛隊に助けられていた。
瓦礫撤去や行方不明者捜索もそうだろうが、何より、炊き出しやお風呂などの生活の支援。
いったいどれだけの命を救い、命を支えたのか、とても数え切れないくらい。
元気に明るく真面目に、お風呂をずっと面倒みてくれた、山形の自衛隊の方々が特に忘れられない。

私は被災者じゃないけど、お礼を言いたくてたまらなかった。
「被災地は本当に、自衛隊さんに助けられてました。本当にありがとうございます。撤退早くないですか?(笑)」
「はは、僕は行ってないですけどね。でも行った人の話きいたら、すごかったみたいですね。」
「ああー、そうでしょうね〜…」
「人間が怖くなったそうですよ。」
「???」
「自分たちの食糧作ってたら、ひどい被災をされた住民の方達が人間性を失って集まって来て大変だったとか…」
「………。」

知人から、まだ震災直後の頃、泥出しをしていて、お昼にカップ麺を取り出したら、それを見ていた住民の方達が来て「何日も食べ物当たってないから分けてもらえないか」と頼まれ、お昼も食べられなかったという話は聞いた。
生きるか死ぬかの状況で、自衛隊の食事にたかる人々もいただろう。
みにくい言葉もあったろう。
だけど。

泣けてきた。
涙が止まらなかった。
違う!違う!
何千何万の人たちが、涙を流しながら、あなたたちに感謝しているんだ。
被災者をそんなふうに思わないで。
「津波で死ねば良かった」と言いながら、じっと息を潜めて、苦しさを飲み込んで、すまないすまないと思いながら生きている沢山沢山の人たちを、見て。

腹が立って悲しくて、祝の末席で涙をボロボロ出すダメダメ人間の私を、妹が
「大丈夫だって、みんなわかってるって。そういう内容のネタに飛びつくもんなんだって。」と慰める(笑)
泣いたらアカン。アカンよな。


気をつけなくちゃ、自分。


石巻に「帰りたい」と思ってるわけでもない。「帰りたくない」とも思わない。
ただ、もうちょっと、頑張らないとね。
自らの意志で飛び込み、知り、関わり、こうしているのだから。
「知らなきゃよかった」「関わりたくない」
そうはとても思えない、そんなふうに思う人間には、もうなれないから。
by ushimaton | 2011-09-05 19:29 | 東日本

5ヶ月ぶりの帰郷

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どうもご無沙汰すみません。
近頃はお休みにならないと更新できていない(すなわち月一とか…)まとんですみませんホント。


突然ですが。
帰路なう。笑

従姉妹の結婚式出席のため、少しだけ札幌に帰るのであります。
フェリーが欠航してしまい、慌ててJRに切り替えたものの、夜行列車の寝台どころかカーペット車すら予約いっぱいで、青森駅で急行「はまなす」の自由席の奪い合いに参加することになっているなう、であります。

カバンの中には、山盛り持ってきたけどどうやら今後使いそうでもない、あらゆる種類のゴム引き軍手やヤッケなどなどのお持ち帰りと、カーペット車用の寝袋(したっけ満席じゃん)。


車窓の暗闇や通り過ぎるネオンを見ながら、色々考える。
そして寝る。
石巻の残してきた皆さんをちょっと心配する。
寝る。
貯めていたメールを少し打つ。
寝る。



明日の朝には、5ヶ月ぶり、石巻入りしてから初の札幌、なんだな…。
by ushimaton | 2011-09-02 22:18 | 東日本

そうか…

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突然ですが、土日で休ませていただきましたー。
6月からほぼ1ヶ月半ぶりの休日♪

休日にしたいことは、寝ることと居場所を変えることくらいなので(拠点にいたらつい電話とかとりそうだから)、ようは近場で安いビジネスホテルでも取れればそれでいいのだ。
が、東北地方は今お祭りラッシュで宿がとれないため、結局バスでまた東京に出ることにした。
土曜の朝新宿着で、日曜の朝には出発…(笑)

朝5時到着。とりあえず、トコトコ明治神宮を歩き、そのままトコトコと原宿に行ったらすんげえ人人人でびっくりした。
ひゃあ〜!
何故なんだ…。
もっと若い頃でいいから、一度でも「原宿歩いてクレープとか食べた〜い」と願望する子だったら良かったねえ。
クレープなら食べたくなるけど、結局この若者原宿押し寄せ現象が全く理解できない残念なまとんであります。

その後、恵比寿で友人たちと昼間からビールを飲む。
震災後初めて会った。
一人でなんか、頭の中がパンクしそうになっているから、「震災後に知り合った、被災地関係絡みの人々」ではない顔を見るというのは、何だかとっても大切な気がする。

電車の中、街の中。
まばゆい。
もう、あまり計画停電だとか、地震や津波絡みの言葉は見えない。
あちこちに小さく「東日本大震災の復興を応援します」と見るだけ。
レジ横に募金箱があるだけ。
それ以外は、去年の夏とほとんど変わらない。

ああ、そうか。

ちょっとなんかわかった気がした。
最近、なんだか、変わったような気がしてた感触の正体が。

活動は、私以外の人々は基本的に、一週間で交代になる。
札幌の大きな団体からは、大抵は毎回、初めての若い人たちがいる。
なんだかね、何かが、変わった気がしてた。
夜の12時近くに「コンビニ行ってきます」とか、ほんの一週間で札幌に帰れるのに、ハンバーガー食べたいとわざわざ買いに行くとか。
宿泊している古いおうちの設備に不満そうだったり。
消費活動は構わないし、考え方を他人に強要する気は全くないんだけど。

ほんの1、2か月前は、一つの小さな部屋に男女一緒くたに眠り仮設トイレを使い、風呂は週に一度で、あり合わせの物を食べているのが全く当たり前だったけど、それからずっとずっと良くなった現在の方が、新しく来た人たちの不満を耳にするようになった気がしてたから。

ずっと、被災地に入りっぱなしで、テレビもつけない生活なので。
今回のまばゆい東京は、ちょっと衝撃だった。
東北の現状を思い起こさせるものがほとんど何もない。
ただただ「がんばろう日本!」みたいなキャッチコピーと、スポーツなどでわーわー盛り上がっているようなポスターばかりで。

「そっちってどうなの?あんまりニュースとかでも見ないからわからないんだけど」
友人たちもそう言っていた。

石巻の市街地がずいぶんきれいになったから、だけではないんだな。

日本中が明るく復活して、人々が「もうそういうの見たくない」といって震災ニュースの時にチャンネルを変えるようになったら、テレビはもう報道しなくなる。
チャンネルを変えても、見かけなくなっても、「そこ」は、そこにある。



ちょっと切なくて、とりあえず……
ここが終わった時に「燃え尽き症候群」にならないように気をつけよう、と思った(笑)


あと数時間で宮城に戻りまーす
by ushimaton | 2011-08-07 11:16 | 東日本

あしおと

どうもどうもご無沙汰してしまって…。
みなさまお久しぶりでございます。

寝る前に毎日ひとつだけでもメールを打とうとするんだけど、次に気がついたら携帯電話開いたまま体の下敷きになって寝ちゃってる^^;

その割に安眠具合は微妙だったりなかったり。
昨晩も結構大きな地震があった。
すっかり地震に詳しくなって、最初の縦揺れと次の横揺れの時間差でだいたい震源の距離がわかったり、縦揺れの揺れ具合で「これはでかいのが来る」と大体推し測れたりもする。
余計なスキルである。

ここにいると、「ぐらっと来たらどこに行く」という打ち合わせが欠かせない。
とはいえ、落ち着いてちゃんと判断して逃げる逃げないというのは大変重要であります。
とりあえずの目安で、津波警報鳴ったら絶対逃げる(当然か…)

普段、朝5時半に起きてから夜8時過ぎまでは、あれやこれやで自分の個人的なことをする暇はないし、8時過ぎに団体ミーティングから帰ってきてからは、翌日の打ち合わせと晩御飯とメンバーでのお話あれこれなどで、結局そのまま寝てしまうという繰り返し。日によっては夜の送迎が10時過ぎまであるし。
メンバーは常に入れ替わるので、懇親会的関わりというのはけっこう大事なのだ。
(最近は食後にちょこっとビールも飲めちゃったり♪)

そんなわけで相変わらずほったらかしになっている私の個人ブログなんだけど(もはや誰も見ていないんじゃないかというウワサも)、チャンスがあったら更新しまっせ。
たとえば今日!
大きなお祭りの直前というのもあるのか、もともと送迎の少ない日曜日(病院休みだから)に輪をかけて少ないので、勝手に半休状態にさせてもろてまーっす。きゃー(≧▽≦)

普段は、ちょいちょい活動の報告を打ったりしておりますので、今どんなことしているのか知りたい方はこちらも。
ただ、ちょっと毒っぽいことは、当局のケンエツにかかっちゃうの( ̄∀ ̄)(当たり前)


街中はずいぶんきれいになった。
瓦礫がなくなり、路肩に山積みになっていた家具などもなくなり、泥もなくなった。
お店は営業を再開したり、別な新しいお店になって始まったり。
もう、スーパーに行列する人はいない。品物も豊富にある。
さすがに震災前と同じとまではいかないけど。
それでも、吹き飛んだ家が元通りになるものでもないので(ほとんどが建て直しの禁止区域になっている)、太い通りから路地一本入ると、基礎だけになったお家に花が供えてあったりするのだけど。
市街地以外はまだまだ瓦礫も何もかも全然だし。

人の意識も変わる。
住んでいる人の意識は、まあ当たり前。
ずっとそこにいるので、変化もゆっくりゆっくり。
それより、周囲の人々の意識が、変わっていく。
良い変化、当然の変化ばかりなら良いけれど。

つい、「火事場泥棒」という言葉を使いたくなる。(使ってケンエツに引っかかったw)
産業に大打撃を受けた地に、お客を狙って入り込むヨソモノたち。
もちろん、物や労働力というだけでなく気力や精神にも本当に大きな打撃を受けているここだから、自力だけで立ち上がるのは無理だ。必要な手は、元気な人々が差し出さなくてはならない。
だけど、(業種によるけど、)「従業員は地元の人を雇用するから地元のためになっている」といって、よその街の事業所なんかがちゃっかり根性で事業展開しようというのは、どうも、イヤだ。
私が今所属しているレラは、当たり前だけど、そういう考えのまるでない団体で主軸になってやっているのだけど、ここでの活動を通じて関わる様々な団体のごく一部には、色々な意思のチラ見えするところがいたりしてさ。
そういうところに限って、やたらフットワーク軽そうだし。
やだなあ。私に何かできるのかなあ。

とりあえず、そんなレラにせっせと人員を出して下さる大きな移動サービス系団体の方々は、自らも実際に走りに来てくださったり、うちとこの代表とも親しかったりで、
「受け皿の設営には手を貸しても、将来的には地元で独り立ちしてもらいここでの活動を引き渡すことが目標」
とはっきり言って下さっているけど。
私なんてこの団体ではまったく何の力も地位もないただの通りすがりの人なんだけど、それでも、4月から今までの全てをここで見知っているたった一人であるわけで。
だから、なりゆきで、色んなところの色んな方々とのお話を引き受ける場面が多くなっている。
私に出来るとりあえずの先制攻撃は、そうやって話を聞きに来る様々な人たちに、「ここでの活動やノウハウはすべて、将来的に地元に引き継ぐためにあるのだ。」と事あるごとに言うってことかな、と。
ささやか?でも、大事だと思う。

沢山のものがこわれて消えてなくなって、沢山の足音が聞こえてくる。
草の芽吹きのような音とか、火事場泥棒の近づく音とか…あ、また言っちゃった。


先日、ふと食料棚の缶詰を見たら、ごく普通の顔をして、貴重なヤツがちょこんとおった。

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こ、これは、石巻水産の「鯨の大和煮」の缶詰ではないか。
海岸ぶちにあった多くの水産加工場は、津波で完全に破壊されている。
この工場もそう。

工場の巨大冷凍庫はぶち壊れて、冷凍庫の中にいた大量のイカやら魚やらが、波と一緒に民家になだれ込んだ。
始めの2,3ヶ月、「イカバスターズ」と呼ばれるボランティア隊が、全身イカ臭くなりながら、毎日毎日腐ったイカを掘り起こして捨てていた。

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by ushimaton | 2011-07-31 16:26 | 東日本大震災

テレビ放映

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先日まで、びっちり3週間張りつきで私たちと一緒にいた、NHK札幌のディレクターさんから、明日7月9日の昼11時30分くらいから、20分ほど私たちの特集を放映するとのお知らせが来た。

私たちはテレビもないし移送に忙しい時間だし、観ることはないけど(笑)、一応お知らせでした。

私が映るとか誰が映るとかじゃなくて、こちらの状況が少しでもわかればいいかな、と思う。
どの部分を切り取られてどうなっているのか、ちょっと怖いけど、ずっと一緒だったディレクターさんは正真正銘に良い人だったし、レラを大事にしてくれている方なので、とりあえず信頼しとく(笑)

レラというより、レラを通して見るこの街の人々のことを撮ったのだと思う。

恐ろしいことに全国放送です(^^;)

恐ろしいけど、知ってもらえるチャンスなのかなとか。



そんなでした。


明日も走りますぞ。
by ushimaton | 2011-07-08 23:20 | 東日本

走って悩んでそれでも走る

うう、しばらく更新ほったらかしでごめんなさい。
いやはや、忙しくて…。いやほんと^^;
一日中ずっと突っ走ってる感じ(いや、体が走ってるわけじゃないけど)。

たまーに私もこっちの報告打ったりしてるので、こっちも見といてください。
『災害移動支援ボランティア Rera』

さて、一ヶ月ぶりにおやすみもらって、また川崎の従妹のところに来ました。
二日間の休日は、札幌に帰るには短いので、従妹のおうちには本当に助かっております。

(ですます調報告終わり)



私が石巻にやってきたのは、4月6日。
何時の間にやら、もう2ヵ月半以上も被災地に入りっぱなしということになる。

二ヵ月半。
普通に考えたら、転んですりむいた子の膝小僧のかさぶたも跡形もなくなるくらいの期間。
街は、回復と停滞と、治癒力と鬱屈した感情と、日常と混沌とに、日に日に複雑さを増していく。
それがすべて、新しい建設への一足につながっている過程なのだといいけれど……。


3月の震災後、「こんなに大きな災害で、現地で人手が足りているはずは絶対にない!」と強く感じた。
「私達に出来ることは、お金を払うことくらい」
「行っても迷惑になるらしい」
それらの言葉に、今回ばかりは同調し切れなかった。

たまたま知り合えた、石巻で活動展開中の札幌の団体にお話を伺い、同行させていただいたのが4月頭。

当時は、あらゆるジャンルで人手不足を極め、物資整理や泥かき、荷物の運搬、とにかく何でもやっていた。
丁度私の隊が到着した頃、それが「移送チーム」として分類された。
福祉車両を使った、障害者や高齢者、そのほか被災した一般の人々への移動支援。
それを専門に行っていくグループであると位置づけられたのだ。
その直後に到着したのが私たち。

「やばい」と思った。
泥かきくらいなら、体力ならそこそこあるから出来るかな?とは思ったが、福祉車両の移動支援となると。
全く関ったことのないジャンルではないか。
障害者も、高齢者も、福祉も、車椅子も、移送も、どれもこれも、私に何か出来るようには思えない。
どうしよう。
でも、ここまで連れて来て下さった恩義がある。
何もせずに逃げ出すわけにはいかない。

他のメンバーは、札幌での仕事があるので、1週間で交代してチームは丸ごと新しくなる。
私のとりえは、もっと長い期間いられること。
専門用語も車も人脈も何もかも分からないことだらけだが、前のチームの残したものを次に伝える引き継ぎ係くらいなら、ちょっとは役に立つかもしれない。
そうやってかかわり始めたのが、現在につながっている。

日に日に増える移送依頼と、新しいドライバーのみなさんをつなぐ配車係。
自分自身がサポーターとして助手席に乗ることは難しくなってきた。
街の様子を目で見る機会は減ったけど。
自分の我侭を満たすためにここに来たわけじゃないから。
必要とされるところにいられるのは、被災地に限らずとも、とても大切でありがたいこと。

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宿泊しているのは、被災したラブホテル。
2mくらいまで津波をかぶった。
避難所として、一般の沢山の人々と、ボランティアの数グループがお世話になっている。
仮設のお風呂やトイレを共有しながら、それなりに快適に清潔に。
そのすぐ脇は瓦礫が山積みのままだけど。


被災して車を失い、交通手段が無く困っている人達の、通院や日常生活の移送。
いちばんはじめは大きな病院への移送ばかりだった。
段々、お風呂やコインランドリー、買い物などの依頼が増えてきた。

それから、人々がボイラーや洗濯機を買い始め、それから車を買い始め、街中にはバスも復活し始め、依頼は個人病院、眼科、歯科、それに精神科への送迎が増えてきた。
仮設住宅の説明会や見学、引越し。
墓地や空き地に仮埋葬として土葬されていた方の火葬にからむ依頼だとか。

復旧に完全に取り残され、後回しにされている、郊外の依頼の割合も増えた。

はっきし言って、毎週メンバーが総入れ替えする上にこの人数で、しかも移送の専門家が必ずしもいないという状況で、奇跡なんじゃないかというくらいに毎日運んでいる。
朝は5時半に起き、7時前には出発し、遅い移送は夜10時。
お昼ごはんを食べられない場合も多々あるので、皆携帯食をカバンに入れて。
どんな風に走っているのか、どういう状況なのか、他のジャンルのグループには見えていないだろうけど、本当に皆さんめちゃくちゃやってくれている。
車に乗るだけだから体力もさほど要らないだろう、難しくないだろうと思われているかもしれないが、ところがどっこい、なんですよ。



はー。
だけど。
毎日悩んで考える。
支援の「引き際」について。「線引き」について。

「通院に限定したら?」
「障害者高齢者に限定したら?」

うーーーん。

被災地救援は、普通のところのNPOやボランティアなどとは違い、フェードアウトが最終形態なんだろうと思っている。
私達も、最終的には地元に引き継いで姿を消すのかなあ。と。
「消えざま」を模索しながら歩むのが、復旧の証。
消えていくことそのものを、私は純粋に喜びとして受け入れることが出来る。

だけど、うーーーーん。

まだ、「線引きの日」が来ているとは、思えないんだな。
命に関るから、通院だけを支える?
家も無く、収入のあても無く、支援金もほとんど無く、の人々の、通院だけを支える?
買い物上等、お風呂大いに結構、なんじゃない?
人はパンのみ、病院のみで生きているんじゃない(笑)

でも、ガソリンだって水じゃないんだ。
ものすごい体力が必要だ。

タクシー屋さんに邪魔だと思われても不本意だし。

高齢者や障害者限定にする?
それ以外の人を断る?
それも、うーーーーーー   む


生きるためのすべてを支える。
生存ではなく、生活。

刻々と変わる状況をにらみながら、いかに応えていくかを模索する。
どれくらいの深度で踏み込むかを慎重に睨みながら。


「村島さんでよかったんですよ。」
昨日でお手伝いを終えた、福祉移送のプロドライバーさんが、最後に言ってくれた。

「福祉の人間は、どうしても視野がそっちの方向に狭くなっちゃうんです。障害者の仕事してる人間はどうしても障害者に限定して特別に扱いたいと思っちゃう。高齢者とかも。
だけど、村島さんは、全くそういう分野とは違った目で見ながら関っている。そういう人が、今、このレラという団体をまとめている。
俺らみたいな専門分野の人間だけだったら、こんなことにはなっていなかったですよ。
支援を障害者高齢者に限定して、結局はニーズを掘り起こしきれずに毎日ヒマしてる人たちもいますよ。
だけど、レラは、毎日何十人を運んで、そうしていく中で、俺らには拾えなかった困った人たちを拾い上げることができている。
今のレラのいい空気は、そういう人がいるからなんじゃないかと思いますよ。」

「いや、私がまとめてるわけじゃないっすよ(爆)。
あまりにも酷い大災害で、とにかくとりあえずどかーーんと広げたでっかい風呂敷を、どうやって小さくたたんでいくのか、ってことだと思うんだけど、私が関っても、周りが想定していたより全然小さくたためてないっていう(笑)」

「いいと思いますよ。逆に自分は帰ってから、その関り方を報告して薦めようと思ってます。その方が困った人に手が届いていますよ。
風呂敷、広げといて下さい。楽しみにしときます。また来ます。」


もちろんもちろん、いろいろな人がいるし、いろいろな考えがあるし、本当に悩んでばかりの毎日なんだけど。
ただ、そういう風に意見を言ってくださる人がいて、それがとても有能な方でもあったので、なんだか煮詰まった頭に染み渡るありがたいことだったのだ。

間接的ながら、命と人生に関っている。
「ボランティアだからやりたいようにすればいい」では、あまりにもそこに生きている人々に無責任すぎるし失礼すぎる。


ま。
とりあえずこの二日間は、爆睡して、洗濯して、お風呂入って、音楽聴いて、従妹達とお喋りしてビール飲んで、充電します。


コメントいろいろ下さった皆様、本当にありがとう!!!!
誰かが気にかけて読んでくれていると思うだけでも、すごくうれしいエネルギーになってます。
by ushimaton | 2011-06-25 17:08 | 東日本大震災

3ヶ月

今日で震災から3ヶ月。


日本がこんなふうになってしまってから、まだ3ヶ月なんだ。


街中はきれいになった。

だけど、ちょっと走れば、3ヶ月前とまだほとんど変わらない景色。

街が変わっていく。
人が変わっていく。
日常が現れ、どうしても戻れない苦しみも現れる。

深くなる
笑いも涙も欲望も傷も未来も過去も
by ushimaton | 2011-06-11 03:27 | 東日本

また 会えないの?

仲間が、突然、亡くなってしまった。

二月前に一緒に石巻入りして、途中で帰ったものの、また来てくれて、色々な時期を一緒に過ごした、本当にかけがえない仲間。

北海道で、突然の交通事故。



受け入れがたい。

頭と心が蓋をしている。

油断すると涙が漏れ出てくる。

そんなことしていられない。

何十人の人たちが毎日電話をかけてくる。待っている。

「目の前で弟が“助けてけれ!”と叫びながら水に呑まれていった」
そんな経験を話す人々に、仲間がいなくなったのを言い訳に暗い顔を許してもらおうなんてできない。



ここにいると、佐竹さんはすぐにひょいと帰ってくる気がする。

だから、そういうことにしとこうか。

だって、あんなに笑って笑って本当に楽しくいい時間を山ほど作り出したあの人が、もう来ないなんて、認められないもん。


ありがとうありがとうありがとうありがとうありがとう。

頑張って早く立ち直ります。

泣かないよ。
だけどいつもいつも思い出してる。


きっとまた会える。
そういうことにしとく。


この街でまだやっていく私に、その突然の報せをもって、色々教えてくれている。
by ushimaton | 2011-05-30 23:36 | 東日本

やまがた

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とにかく一日中忙しい。
朝5時半に起き、ごはんを食べながら1日の段取りとミーティングの準備をして、6時半には他団体の皆さんとのミーティングに出発(最近は移送が早いので欠席したりもする)。
早い移送は6時台には出発。
お昼も食べずに走る場合もあり、移送が落ち着くのが大体夕方の6時くらい。
夜7時には全体ミーティングに出て、戻ってから翌日の配車と打ち合わせと準備、札幌にレポートを打ったらもう夜中の12時過ぎ。
週に一度メンバーがほとんど丸ごと入れ替わるので、また新たに街の概要や活動の説明からスタート。
の、繰り返し。

母の日と、友人達の誕生日を忘れた。
ほんとごめんね。

人間にはいつも恵まれているので本当にありがたい。
引き継ぎ係として長く残っている私が一番何も出来ないへっぽこですねん(笑)


次の月曜日から大幅に人手が足りなくなる。
「6月後半まではずっと人手不足だから、今のうちに休みなさい!!」
と、皆さんに言っていただき、土日で山形にリフレッシュに来ております。
昔からの仲良しで、今まで一緒にやってきた友達のえりちゃんが連れてきてくれた。
山寺を歩き、ずんだ団子を食べ、温泉に入った。
1ヶ月以上もずっと一緒に寝泊まりし、一緒に活動しているのに、普通に二人でお喋りする暇が皆無だったので、すごく嬉しい時間。
もっともっと一緒に話したかったな。


依頼がめちゃめちゃ増えたので、電話応対と配車などで一日中拠点の中にこもる人間が必要になった。
そんなわけでこの2週間ばかりは、私は朝晩のミーティング以外はびっちり拠点にこもりっきり。
街の様子わかりまへん(笑)

その前の1ヶ月は、「種まき」の時期。
300枚以上の名刺があっという間に消えていき、あちこち走り回り、他団体とも連携をお願いし。
それらがどかんと大爆発して発芽して、今は朝から晩まで電話応対の日々。


レラも変わっていく。
街も、ようやく、変わってきた。
変わらない部分、遅れている部分もたくさんたくさん残しながらも。

先日、国土交通省の方々のヒアリングがあった。
私たちと話をする前に、市内のタクシー会社やバス会社の人々と話をしてきたそうだ。

「タクシー会社さんと重なるような送迎もされているんですか?」
言葉の端々に、タクシーの邪魔をしてくれるな、という懸念をあらわしながらの質問の数々。

私たちは、車椅子の人や寝たきりの人も運べる福祉車両を使ってはいるが、健常者であっても送迎は行っている。
被災の規模があまりにも大きく深く、誰もが本当に困っているから。

タクシーもバスも、私が来た頃はまだまだ全然動き始めておらず、「12台のうち10台が流された」などという話もよく耳にした。
タクシー会社には長蛇の列ができ、「心臓の手術にいくために電話でタクシーを呼んだが、3時間待ってもまだ来ない」といって雨に濡れながら待っている人がいる、と電話をもらったりした。
街の細い道はほとんど瓦礫や家具で通れず。

「いつか、タクシー屋さんに“営業妨害だ”と言われる日が来たらいいね。早くタクシー屋さんがしっかり復活したらいいね。」
そう話すくらいに復興は遠く。

少しずつ、街の中は状況が変わって来た。
ただし、本当に“街の中”だけだけど。少し市街地を離れた地区に行くと、被災直後とほとんど変わっていない。その落差は広がり続けている。
街中のタクシーは数が増えた。
バスも復活してきた。

「タクシーの邪魔をしてくれるな」
そんなふうに言われる時が、私たちの引き際かもしれない、と思っていた。

だけど。

国交省の方々に、私はこうとしか答えられなかった。
「タクシーは増えてはきましたが、実際、皆さんは避難所だとか壊れた自宅の2階だとかで暮らしていて、仕事も見つからず、収入もなく、まだ義援金は1円も貰えていない、という状況は、被災直後と全く変わっていないですよね。
そういう方達に、『タクシー屋さんあるからタクシーを使って下さい。』とは、まだ、私は、言えません。」

言えないんです。
10円20円を数えて生活している人に、着のみ着のままでようやく生き延びた人に、「タクシーあるじゃないですか」なんて。
どうして、そういう人々を大切にするべき国家というものが、そういう人々をさらに苦しめる方向性を示せるんですか。

そういう話をきいてすぐに「どこそこの政権が悪い。」「誰それの責任だ。」と他人のせいにしてばかりいる、あなたたちが私たちが、何より悪いんです。

「テレビで『一人じゃない』『みんなそばにいる』と言っているけれど、今欲しいのは言葉じゃない。誰もそばにいない。今欲しいのは明日生活するためのお金。何ヶ月も後に貰える10万円ではなく、明日貰える1万円。」
そういう人に、病院に行って帰って1万円のタクシー代を、どうしたら「払って下さい」と言える?

人工透析や、遠くの避難所からの通学の送迎を毎日いくつか行っている。
そういう命を預かる送迎を、ボランティアが未来永劫丸ごと受けることは出来ない。
「そこのところを行政に何とか考えていただけませんか」
と聞いたところ、
「通学は文科省、透析は厚労省の管轄です」
とのことだった。
文科省や厚労省の管轄だから、文科省や厚労省にその話をしてくれるのだろうか?
管轄が違うから関係ないからそのまんまなのだろうか?


街が変わっていく。
人が変わっていく。

私たちも、変わりながら、動いていかなくては。


誰のために何をしているのか?

揺るがないものを揺るがせずに抱えながら。



これからまた帰ります。あの街へ。
by ushimaton | 2011-05-22 12:38 | 東日本

今日もがんばろ〜

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数日前から本部への報告メールを打つ係なもので、自分のブログ記事まで全く手が回りません。
報告メール打ちながら撃沈してしまったり(汗)

ブログとはちょっと書き口は違うけど、同じように私が書いた現場の声ということで、こちらのブログも見て下さい。

http://blog.canpan.info/attend/index/

岩手などからの報告もあるようです。
自分もあまりみられていないのですが(^^;)

移送が増えに増え、今週は私はずっと拠点にこもりっきりでこーでぃねーと係になっており、写真もなし(笑)
少し前に撮った仮設住宅の写真。
すでに人が住んでます。
まだまだ足りない。
川っぷち。
堤防の向こう側の河辺には、家の二階部分が打ち上げられている。
by ushimaton | 2011-05-15 06:36 | 東日本


気が小さいのに、珍しいものは好き。 道草を喰って、たまに反芻したり。 牛歩ではありますが。


by ushimaton

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☆★うしまとん★☆

 生まれと育ちは北海道

 震災被災地にお手伝い
 行っております

 コメントの返事が
 とどこおりがちですが、
 嬉しくありがたく
 読ませていただいています

 自分のブログの更新する余力がなかなかなくなってしまいましたが、日々の報告メールをこちらに出しております。
災害移動支援ボランティアRera


 
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